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世界の成功と失敗事例集
No.004【組織】

理念の策定

─ 社員とつくった理念と、社員に配った理念

大きな白い紙を囲んで人々が言葉を持ち寄り、足元で金色の道が二股に分かれるイラスト

立派な言葉は、どちらの会社にもありました。それでも数年後、片方の会社では理念が日々の判断のなかで生きて働き、もう片方では誰も一文を思い出せませんでした。分けたのは言葉の出来栄えではなく、言葉が生まれる過程に誰がいたかです。

分岐点:理念を、社員とつくったか。社員に、配ったか
01

光景 ─ ふたつの航路

成功の航路

11万人との対話からつくったパーパス(ソニー)

たくさんの人から金色の糸が一枚の紙へ集まっていくイラスト

2018年4月にソニーの社長に就任した吉田憲一郎さんが最初に手をつけた仕事のひとつは、会社の存在意義を問い直すことでした。ただし、経営陣で言葉を決めて発表する道は選びませんでした。就任まもない2018年7月、社内ブログで「ソニーの存在意義を見直したい」と全社員に呼びかけたのです。

音楽・映画・ゲーム・半導体・金融と、まるで違う事業で働く世界約11万人の従業員から意見を集め、各事業のトップとも議論を重ねて、約半年後の2019年1月にパーパス「クリエイティビティとテクノロジーの力で、世界を感動で満たす。」を発表しました。発表後の社内調査では、従業員の8割以上がこのパーパスを肯定的に受け止めたと報じられています。

研究の側からも、この進め方の合理性は裏づけられつつあります。ガーテンバーグ(クローディン・ガーテンバーグ/ペンシルベニア大学ウォートン校准教授)らが米国企業の従業員約50万人のデータで示したのは、パーパスの言葉の強さそのものではなく、パーパスが「明瞭さ」をともなって、とくにミドルマネジャー層に届いている企業ほど、後の業績が高いという事実でした。理念は、現場の中間層が自分の言葉で語れてはじめて、経営の力になります。

出典:日経クロストレンド「ソニーのパーパスはなぜ従業員に支持されたか」、Biz/Zine「なぜソニーは新たにPurposeを掲げたのか」、Gartenberg, Prat & Serafeim (2019) Organization Science

失敗の航路

額縁で終わった理念(典型パターン)

壁に掛かった灰青色の額縁の下を人々が目を向けずに通り過ぎ、金の糸が途切れるイラスト

ある会社の周年事業。経営企画室と外部の支援会社が数ヶ月かけて、会議室で言葉を磨き上げました。「挑戦」「共創」「持続可能」──どこからも異論の出ない、そしてどこかで見たことのある言葉が並びます。役員会は満場一致でした。

全社発表会は盛況でした。新しい理念を刷ったカードが配られ、額縁が受付に飾られ、社内報が特集を組みました。そして、ここでこの施策は「完了」になりました。現場の翌朝は、昨日までとまったく同じです。会議の議題も、稟議の基準も、評価の項目も、何ひとつ変わりません。

1年後、理念をそらで言える社員はまばらになりました。廊下の額縁は、いつからか誰の目にも入っていません。「また何か始まって、終わったね」──次の施策が発表されたとき、現場がそう受け止める素地だけが残りました。

この結末は例外ではありません。パーソル総合研究所の調査(2023年)では、勤め先の理念を「十分に理解している」と答えた働き手は41.8%。策定の過程に対話の機会や意見の吸い上げがあったという回答は2割台にとどまり、同調査は、密室でつくって一方向に伝える「暗室-伝達型」から、現場を巻き込む「共創-拡散型」への転換を提言しています。HR総研の調査(2013年)でも、理念が「浸透している」と答えられた企業はわずか6%でした。

※ この失敗事例は、実在する特定の団体・個人を描いたものではなく、複数の実例をもとに再構成した「典型パターン」です(編集方針:読む前の、三つの約束)。

02

分岐点

理念を、社員とつくったか。
社員に、配ったか。

ふたつの理念は、文面だけを並べればほとんど区別がつきません。分けたのは言葉の質ではなく、言葉が生まれる過程に現場がいたかどうかです。人は、自分が手を入れたものを「自分のもの」として扱います。行動科学ではIKEA効果や心理的オーナーシップと呼ばれる、人類共通の仕様です。逆に、完成品として配られた言葉は、どれほど立派でも「会社の言葉」のままです。暗唱はできても、判断には使われません。

もうひとつ、見落とされがちな皮肉があります。対話に半年かけるのは遠回りに見えますが、配って終わった理念は、数年後にまた「浸透しないので刷新しよう」という話になり、結局つくり直しになります。いちばん高くつくのは、速くつくることではなく、二度つくることです。

03

逆引き ─ 働いていた苦手と、効いた知恵

働いていた苦手ホモ・サピエンスの苦手図鑑

  • No.011 多元的無知発表会の拍手のなかで「正直ピンと来ない」と感じていたのは、実はほぼ全員。誰も口にしないので、誰も気づけません。
  • No.012 権威勾配トップの肝いり案には、異論が上がりにくくなります。役員会の満場一致は賛成の証拠ではなく、勾配の仕様かもしれません。
  • No.003 現状維持バイアス発表の翌朝も、現場は昨日のやり方に戻ります。悪意でも無関心でもなく、仕様です。だから、判断の仕組みごと変える必要があります。

効いた知恵→ 知恵の図鑑たち

  • 決める前に、聴く決めてから説明する場は説得の場、決める前に聴く場は共創の場。順番がすべてを変えます。合意形成図鑑へ。
  • 関与がつくる愛着自分が組み立てたものほど大切になる(IKEA効果)。理念づくりの工程を開くことが、共感への最短路です。ホモ・サピエンスの知恵図鑑へ。
  • ミドルに届く明瞭さ浸透のカギは経営陣の熱量ではなく、中間管理職が自分の言葉で語れる明瞭さ(ガーテンバーグらの研究)。言葉を磨くなら、この一点のために。
04

処方箋の入口 ─ 同じ分岐点に立つ人へ

  1. いま進んでいる理念づくりは、案を「発表」する前に、現場が手を入れられる余地を残しているでしょうか。意見を聴く工程は、アリバイではなく設計に組み込まれているでしょうか。
  2. 策定メンバーの名簿に、現場の名前は何人あるでしょうか。ゼロなら、その理念は完成した瞬間から「会社の言葉」として配られる運命にあります。
  3. 発表の日を「完成の日」と呼びますか、「運用初日」と呼びますか。発表後の1年に何をするかは、発表前に決まっているでしょうか。

理念を「つくって終わり」にしない策定と運用の設計を、経営者・人事担当者と一緒に行っています。

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この事例の要点をA4一枚にまとめた要約版(PDF)もあります:社内検討用にダウンロード無料・登録不要/出典表記のままご利用ください(CC BY-NC-SA 4.0)

出典・参考(クリックで開く)

日経クロストレンド「ソニーのパーパスはなぜ従業員に支持されたか 8割が肯定評価」/Biz/Zine「なぜソニーは新たにPurposeを掲げたのか」/パーソル総合研究所「企業理念と人事制度の浸透に関する定量調査」(2023年)/HR総研「企業理念浸透に関するアンケート調査」(2013年)/Gartenberg, C., Prat, A. & Serafeim, G. (2019). Corporate Purpose and Financial Performance. Organization Science, 30(1).
成功の航路は公開報道・研究にもとづく実名事例です。失敗事例は、複数の実例をもとに再構成した匿名の典型パターンです。シリーズの編集方針はハブページ「読む前の、三つの約束」をご覧ください。テキストは CC BY-NC-SA 4.0 で公開しています。