─ 続いた会社と、形だけ残った会社

どちらの会社も、上司と部下の対話を増やしたくて1on1を始めました。それでも数年後、片方の会社では週に一度の30分が仕事の一部になり、もう片方ではカレンダーの予定だけが残りました。分けたのは制度の設計の細かさではなく、始める前に聞く側の訓練と続ける仕組みまで用意したかどうかです。
分岐点:導入の日ではなく、三ヶ月後の続け方を先に設計したか
2012年、ヤフーは経営体制の刷新にあわせて1on1ミーティングを人事施策として始めました。上司と部下が週に1回・原則30分。当時の社員規模はおよそ6,000人です。
最初に決めたのは、時間の目的の定義でした。1on1は「部下のための時間」であり、進捗確認でも評価面談でもない、と言い切ったのです。頻度についても考え方が示されています。人事責任者としてこの施策を率いた本間浩輔氏は、週1回15分のほうが月1回1時間より、月1回1時間のほうが四半期に一度の昼食よりよい、という趣旨の説明をしています。回数は、質を落とすための妥協ではなく、関係の残高を積むための設計でした。
そして、制度の号令より先に、聞く側への投資がありました。管理職には傾聴とフィードバックのコーチング研修が用意され、キャリア心理学の知見をもとに、外部の専門家も交えて自社に合うカリキュラムが組み立てられ、その後も改訂され続けました。始め方も全社一斉ではなく、人事責任者とその周辺から始まっています。
この取り組みは書籍『ヤフーの1on1』(2017年)にまとめられ、2025年には働き方の変化を反映した増補改訂版が出ています。十年以上、同じ枠が動き続けているということです。
出典:ダイヤモンド・オンライン「ヤフーはなぜ6000人の社員を巻き込む『1on1ミーティング』を続けるのか?」(2017年10月4日)、本間浩輔『ヤフーの1on1』ダイヤモンド社(2017年/増補改訂版 2025年)ほかの取材記事

その会社では、エンゲージメント調査の「上司と話す機会が足りない」という結果を受けて、翌月から全社で1on1を始めることが決まりました。配られたのは、目的を書いた一枚の資料と、進め方のマニュアル、そして実施率の報告フォーマットです。
管理職への訓練はありませんでした。マニュアルには「傾聴する」「部下の話を引き出す」と書かれていましたが、やり方を教わったことのない人にとっては、それは指示であって技術ではありません。20人の部下を持つ課長は、月曜の朝から金曜の夕方まで面談の枠に追われました。話すことがない回は、自然と進捗確認になります。
半年後、実施率だけが人事に報告され、中身は誰も見ていない状態になりました。予定は残っていますが、直前のリスケが増え、やがて「今週は特になければ飛ばそうか」と双方から言い出すようになります。1年後の調査で「上司と話す機会が足りない」の数値はほとんど動いていませんでした。制度は導入済みと記録され、次の施策の検討が始まります。
1on1の導入自体は珍しくありません。リクルートマネジメントソリューションズの調査(2022年1月・人事担当者936名)では約7割の企業が導入済みで、従業員3,000名以上では75.7%、導入企業の60.5%が直近3年以内の導入でした。課題の上位は「上司の面談スキルの不足」(47.2%)と「上司負荷の高まり」(44.6%)です。いっぽうパーソル総合研究所の調査(2024年6月)では、1on1を直近半年で経験した部下は55.7%にとどまり、「以前は行っていたが直近半年は経験していない」が26.9%を占めました。困りごとの第1位は、上司側が「面談について学ぶ仕組みがない」(35.4%)、部下側が「面談の効果が感じられない」(29.7%)です。
※ この失敗事例は、実在する特定の団体・個人を描いたものではなく、複数の実例をもとに再構成した「典型パターン」です(編集方針:読む前の、三つの約束)。
導入の日ではなく、
三ヶ月後の続け方を先に設計したか。
1on1が形骸化した会社の担当者は、たいてい「現場の意識が低かった」と振り返ります。けれど二つの航路を並べると、違っていたのは意識ではなく、始める前に用意したものでした。片方は聞く技術の訓練と、目的の明確な定義と、改訂され続けるカリキュラムを先に置きました。もう片方は、マニュアルと実施率の報告様式を置きました。前者は行動を支える環境で、後者は行動を数える装置です。
ギルバート(トーマス・ギルバート/行動工学モデル(BEM)の提唱者。人の成果を個人の資質と環境の両面から分析しました)は、行動が続かない原因の大半は個人の知識や意欲ではなく、情報・道具・仕組みといった環境の側にあると指摘しました。研修転移の研究も同じ方向を示しています。学んだ型は、現場に支えがなければ数週間で元に戻ります。形骸化は、怠慢の別名ではなく、続ける理由が環境に埋め込まれていないという診断名です。
もうひとつ、順番の問題があります。1on1は上司が「聞く」ことで成り立つ場ですが、権威の勾配がある関係では、部下が先に本音を出す理由はどこにもありません。訓練を後回しにして枠だけ配ると、最初の数回で「ここでは正直に話しても意味がない」という学習が起こり、その学習は制度より長く残ります。三ヶ月後の続け方とは、実施率の管理のことではなく、聞く側が育つ道筋と、話す側が持ち込める議題の置き場所のことです。
1on1を「配って終わり」にせず、聞く側の訓練と続く仕組みまで含めて設計する支援をしています。
対話定着デザインを見るこの事例の要点をA4一枚にまとめた要約版(PDF)もあります:社内検討用にダウンロード無料・登録不要/出典表記のままご利用ください(CC BY-NC-SA 4.0)
ダイヤモンド・オンライン「ヤフーはなぜ6000人の社員を巻き込む『1on1ミーティング』を続けるのか?」(2017年10月4日)/本間浩輔『ヤフーの1on1 ── 部下を成長させるコミュニケーションの技法』ダイヤモンド社(2017年、増補改訂版2025年)/リクルートマネジメントソリューションズ「1on1ミーティング導入の実態調査」(2022年1月・全国主要都市圏で人事系業務を担当する正社員936名)/パーソル総合研究所「部下の成長支援を目的とした1on1ミーティングに関する定量調査」(2024年6月11〜13日・正社員3,000名。経験率はスクリーニング調査n=5,773)/トーマス・ギルバートの行動工学モデル(BEM)。
成功の航路は公開情報にもとづく実名事例です。失敗事例は、複数の実例をもとに再構成した匿名の典型パターンです。シリーズの編集方針はハブページ「読む前の、三つの約束」をご覧ください。テキストは CC BY-NC-SA 4.0 で公開しています。